日本のウェブが〜(略)追記
ちょっとネットを巡回していて思った。
日本語のblogと英語のblogでは根本が違う気がする。日本語のblogはあくまで仮名匿名の世界で、実名は極少数ということ。英語だとどちらかといえば実名が多いのではという気がしている(要出典)。
その原因を考えるに、まずネットイナゴの恐怖がある。よってたかってあら捜しをして、あげつらえ、2chに晒す。正直自分も怖い。日本でTwitterを使う政治家がようやく現れたが賛否両論だし、社長のblogは多いが従業員20人以上ともなれば皆無に等しい(要出典)。(もちろん政治家のblogは花盛りである。でもそれはあくまで広告であって本来のblogとは程遠いと私は思っている)
そして次に主張を善としない日本の奥ゆかしい習慣がある。はっきり主張する事は日本の習慣的には悪である。上司が間違ったことを言ったらそこでは否定せずblogで憂さ晴らしをするのである。最近の日本には「主張すべし」という兆しはあるものの、突出することを恐れる、これまた日本人の奥ゆかしさから、あまり直接的に表には出てこない。それを代理するのがネットというカーテンだったりする。2chしかり。そしてblogもである。
つまり日本でblogが発達しているからとはいえ、あくまでもその多くは個人の秘蔵日記の代替であって、リアルな個人と紐付けられては困るといった性質のものが多いのではないか(要出典)。
そう考えると、
blogとシームレスに繋がるシステムならば…
http://d.hatena.ne.jp/kazkun/20090620/1245508168
というのは負けクジな気もしてくる。
だがしかし、そこに一縷の望みを繋げようかとも思う。技術系というか、議論系というか、そういうblogを書く人というのも相変わらず少なくはない(要出典)。リアルな社会では上からの押し付けによって有無を言わせてもらえずやっている事であってもネットの上では議論を戦わせることができるのではないか。もしかするとリアル世界で疲れ果てて、帰宅してまでネットで議論する余力がないかもしれない。でもリアルな個人との紐付けが薄いのであればユーザは集まるかもしれない。
まずは企画書を書いてみようか。A4一枚でどれだけシンプルにスキームを示せるか。それによって企画の有効性を見出せるはず。これは以前に羽生さんから教わったことだ。