雨は好き。総てのものをきれいに洗い流してくれる。排ガスに汚れた身体も、偽善に凝り固まった心までもきれいにしてくれる気がする。けど、その暗くジメジメしたところが嫌。だから僕はお天気雨がいい。
雨よ、熱く火照った僕のこころを冷ましてくれ。このままじゃ、本当に戻れなくなりそうだ。
『雨音はショパンの調べ』の原曲『I like Shopin』が好きだった。あの頃のことは、いい思い出だ。

主観固め・デザインパターン

なんか僕のことが書いてあるみたいだから、一応メモ。
確かに正論。でも、僕はそれじゃつまらない。色々な人と接していると、答えが1つしかなさそうなのに、いくらでも別解が出てくる。それが面白いんじゃない。それに神の存在は信じてる。何々教とかじゃなくって、自分の神様の存在を。だからこそ必要とされて今ここにいると考えてる。
世の中という俗物的な存在においては、類似パターンから次の最適者を探す機能というのが実装されており、また、誤差は学習により吸収され、結局もとの状態に復帰するので、ロスはあるものの、確かに「デストラクト」されても大丈夫なわけで。それと、ポリモーフィズムもかなり複雑に実装されていて、どれが本当なのかは、使う側が勝手に決められるし、どれを使っても不自由しないという、便利な世の中でもあったりしますが。
だから、君がどう考えるかは僕には確かに関係ないと君は主張するだろうけど、僕には興味以上親友未満のものであって、心が知りたいと主張しているし、それがもしかしたら、自分の生きる肥やしとなるのではと考えているわけで。同時に君に、人間の持つ多態性の面白さに気づいて欲しいし、だけど、それに飛び込めといっているわけではなくて、事故解決以外にも手段があると気づいてもらうだけでも僕は幸せを感じられる不思議な生き物なわけです。
何を書いているか自分で判らないけど、なんとなく、ささやかな反論をしたくなったのです。