義手な人

最近立て続けに義手なひとを見た。まず驚いたのがその精巧さ、というか、自然さであろ。ふと不思議なしぐさに注意を向けると、もしかして、という程分からない。どうも色合いより質感が重要な気がする。前に義足の子がミニスカートを履きたいという我がままを叶えるという番組得お見かけたが、すごい技術だ。いや、技術だけではなく、感性も重要だと思う。
そして次に思ったのが本人の苦労。気づきにくいのは本人の涙ぐましい努力も大きなウェイトを占めていると思う。動かない手を、さりげなく雑誌の上においたり、腕を組んだり。普通に歩く時のように振ったり。
思うのは、すばらしくさりげなくやってるけど、結局は「隠す」事をさりげなくやっている訳で。障害があっても隠す必要のない世界であるべきかもしれない、と考えたけれど、それは健常者のおごった考えという事に気づいたり。
女の子がアイドルをまねて髪形を変えたり化粧したりするのと同じで、よりよく在りたい、よりよく見られたいという感情の一種であって、それが不要であっても喜ぶ人は少ないのかなと。
ハゲが、同性愛者が、カミングアウトするように、それが恥ずかしいことではないという風潮を創ることが大事なのかなと思ったら、なんかすっきり。