ここは酷いインターネッツですね(釣り注意)

日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く
なんか、こんな話があったのかと、さまよってみたり。ふ〜ん。で、真っ先に頭に浮かんだのがこれ。

ここは酷いインターネッツですね」ということか。(違

日本独特の、なんと言うかイナゴの大群的な行動は、2chで育まれて、はてブで成熟したというか、そんな印象があるけど、更にその根底には国民総中流意識とか、隣と同じじゃないと怖いというのがるんじゃなかろうか、と思っていたり。
自分だけが取り残されるのが怖いから、無理してでも世間の中流というものにあわせてきた過去があるし、みんなと同じ知識・服装じゃないと怖いからマニュアル本が無駄に売れてる。書評が(実際と違っても)良ければあっという間に増刷だし、もちろん弾小飼が「いい」といえばブームになるわけで。(違
良くも悪くもムラ社会な訳ですよ日本は。農耕民族なの。
狩猟民族は周りと同じ事をしていたら食いっぱぐれるからこそ、他と違う事を良しとする風潮なわけで。それぞれがすべて異なるベクトルであるという安心感があるから、他人を素直に評価して自分の励みにしているところがある気がしてる。アイデンティティが自分を支えてるんじゃないかな。

トンデモ仮説

大きな違いは社会構造であったわけだけど、ここからトンデモ仮説。ムラ社会にはアイデンティティというのはあまり必要ではなかった。多すぎたり強すぎたりした結果「いくさ」が起きてたから。アイデンティティが薄いから(江戸以前は)適当な名前で呼び合っていても問題なかったし、(戦後成長時代は)協調性、礼儀といったあたりが日本人を成長させてきた。
やがてバブル到来、インターネッツ時代到来といったあたりで日本も本格的に欧米化してきた感じ。ところが学校教育を含む、子供を育てる環境というのはアイデンティティを勘違いして適用し始めてしまった。親は子や家庭よりも自分を大切にしてしまったし、学校はゆとり教育に走ってしまった。結果きちんとした意識を持たない世俗はどうなったか。
アイデンティティの代替として仲間はずれをいじめる、イジメが発生。天敵不在の上に適当なアイデンティティ観でよそ者攻撃。アイデンティティが揺らぐから他人を真似して満足する。アイデンティティが確立されてないから孤立を嫌う。
世間のまともな者がその問題に気づき始め、ゆとり教育の見直しなどに動いている昨今、ネットイナゴは駆逐されていくんじゃないかなと思っている。但し10年や20年かかるだろうな。

で、日本は酷いインターネッツなのか

2009/06/03加筆修正
さて元の話に戻って、じゃ、今の日本のインターネッツは酷いのか。
全体自分が存在している周辺を見ると、まぁさもありなんな状況だけど、まともな人々(というと語弊があるか)はどんどん増えてる(と勝手に思ってる)。
で、はてブという道具は、そういうまともな人々の手から離れていってる気がしなくもない。だってノイズ大杉。少数のきちんとした考えに基づくコメントに乗じる輩が多すぎるよ。「なるほど」と思ったなら「xxに一票」だけでいいじゃん。他人のコメントをそのままコピペして何の得になる?
もしインターネッツに上流下流みたいなものが存在するなら、はてブ2chと似た下流側向かっているのかも。下流は卑しいという意味じゃなくて、まさしく「大衆」。「東スポ」の世界といえばいいのかな。ハイソばっかりでは飽きてしまうからそういう世界も好きなんだけど。梅田望夫氏には向かない世界だね。
で、なんで日本のインターネッツはハイソが少ないと感じるのか、それは猫も杓子もインターネットだから。多分ね。国民総中流意識がそうさせてるんじゃないのかな。つまりハイソもあるけど下流はもっと多い、と。しかもそれが上流にまで突撃してきてるもんだから、まぁ迷惑に感じる事もあるかもしれん。

SBMの改善策はないものか?

はてブをどうするかという話ではなくて、SBMは日本で「ハイソでも使えるもの」になるためにはどうすればいいのかといったこと。
同じ内容でコメントできないSBMってできないかな。または似た意見を自動的にまとめるSBM。○×△やら☀☁☂☃♡♪なんかでカテゴライズするとか、内容の特定箇所を選択しないとダメとか、コメントごとに「▲▼」ボタンがあって全体で「▼」が押された数によって表示が薄くなっていくとか。
まぁ、それぞれ、すぐ思いつく欠点がたくさんあるから実現は難しいけど模索するのは悪くないと思う。どうよ。

その他もろもろ

冒頭の記事から色々探してたら、こんなの見つけた。
人間は書かれてあることではなく、読み取りたいことを読む
いいなぁ。かっこいいぜ。
>>本質を捉える能力を身につけず、枝葉に気付く能力だけがぐんぐん伸びて行く。本質は情報を自分で処理してはじめて見えるものだと思うのだけども。