「ウェブ時代をゆく」感想づづき

ということで、「ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)」の感想つづき。

ところで、日本の若い人たちのブログを呼んで思うのは、「人を褒める」のが下手だなということである。つまらないことで人の揚げ足を撮ったり粗探しばかりしている人を見ると、よくそんな暇があるなと思う。もっと褒めろよ、心の中でいいなと思ったら口に出せよ、と思うことも多い。「人を褒める能力」とは「ある対象の良いところを探す能力」である。
p.138 第四章 ロールモデル思考法 ブログと褒める思考法 より

まさに「残念」発言の元となっている梅田氏の思いなのだろう。結局批判するしかない人は負け犬で、ネットを大衆の下劣なゲームとして楽しんでいるだけであり、自らを磨こうなんてこれっぽっちも思っていないのでは、と自分も思う。なんでもっと建設的な発言ができないのかなぁとつくづく感じる。それが少しも改善されないどころか、この1〜2年で酷くなったと感じたから「残念」という言葉で出てしまったのだろう。
でもふと思うと「はてなスター」というのはそんな批判が支配するブログ界において非常に明確な解を与えている。はてなスターは気に入ったときに使うだけだ。つまりポジティブでしかない。そしてコメントを書けない。つまり批判ができない。でも気に入った一節を引用を明示することはできる。「はてブ」のような自由度は無い代わりに、「はてブ」のような諸刃の剣でもない。一見あんまり意味のないように見える「はてなスター」だが、その利用の簡単さも加わって非常に良い効果を出しているのではないかと思っている。誰が考えたのかは知らないが、すばらしいアイディアだと思う。

ロールモデル思考法はそんな私のやり方のエッセンスをまとめたものだが、これは行動が伴わなければ何の価値も生まない実学である。(略)
第一に、信号をキャッチできたら「時間の使い方の優先順位」を変えて、「勝負だ!」とばかりに好きなことに打ち込むことである。環境を帰る前に「時間の使い方の優先順位」を変えること。時間の使い方を意識的に組み替えることは「違う自分」を構築することと等しい。
第二に、「時間の使い方の優先順位」を変えるにはまず「やめることを先に決める」ことである。それも自分にとってかなり重要な何かを「やめること」が大切だ。お正月の「今年の抱負」が大抵は実現できないのは「やめること」を決めずに、ただでも忙しい日常に「やること」を足そうとするからである。時間は有限なのだ。精神論だけで新しいことはできない。
第三に、「長期「なりたい自分」と短期「なれる自分」」を意識して、現実的であることだ。「好きを貫く」ことは長期戦である。「なりたい自分」が仮にイメージできたとしても、すぐ明日にそれは実現しない。短期的には「なれる自分」を積み重ねながら「時間の使い方の優先順位」を常に意識し、ロールモデルの引き出しも増やしつつ、こつこつと長期にわたってしたたかに生きること。「好きを貫く」ことと現実とのぶつかり合いの中で、「好き」とは違う次元で就職などの判断を下すことはままある。そんな判断をしてもそれだけで終わりだと思わないこと。例えばオープンソース的に「志向性の共同体」に「気持ちだけ参加」して「好きを貫く」生き方もウェブ進化によって可能になる。そういう営みの中で、自分の直感を磨き、あきらめずしつこく自分の嗜好性を問い続けること。
p.143 第四章 ロールモデル思考法 行動に結び付けてこそのロールモデル思考法 より

引用がちょっと長くなったが梅田氏ならば許してくれるだろう。まさにこれ、自分が今回やっていることである。好きなケータイゲームをやめ、それを読書に充てる。それも技術書ではなく、人間を磨くための読書にフォーカスしている。なぜならば人生の転機ともいえる、「久々の」就職である。そして単なるソフトウェア開発企業ではない自分にとってはかなり異質の企業である。かつこの就職が自分の人生においての正に正念場であるとも思っていて、形勢は不利であり、準備をする暇すら与えられなかったものの、この一年で力を出し切り短距離走の勢いで長距離を走りぬく努力をすることで「自分のやることを決定する権利を持つ」人生が開けると信じているからである。まさに自分にとっては今が「一身にして二生を経る」ターニングポイントだということだ。そんなタイミングで梅田氏の書に出会えたのは大きな力だと思っている。

「志向性の共同体」を実現するためには「文系のオープンソースの道具」が欲しい。オープンソース・プロジェクトの場合は「コミュニティの成果物」がソフトウェアという作品であり、コミュニティでソフトウェアを作るためのさまざまな道具立て(共同開発のためのツール群など)がそろっている。コミュニティの成果物が「構造化された知(文章や音声や解説映像など)」(作品)であるときに使える「文系のオープンソースの道具」の登場を期待したい。
p.164 手ぶらの知的生産 「文系のオープンソースの道具」が欲しい より

まさにそれである。この後具体的な要件が挙げられているが、それを満たすものの一つが「日本のウェブが残念なのは急速に進みすぎたという仮説の先を思う」で書いている仕組みである。これは作るしかないのかもしれない。